なる治療院 代表
鍼灸師

伊東 歩
いとう あゆむ

1969年2月4日生まれ

ホームページをご覧頂きまして、ありがとうございます。
【 なる治療院 】の代表、鍼灸師の伊東 歩(いとう あゆむ)と申します。
私という人間が、あなたの大切な身体を預けるに値するのかどうか、このプロフィールが参考になればと思います。

1969年2月4日に山口県で生まれた私は、父の仕事の関係で、倉敷、鳥取と引っ越しが続きました。
引っ込み思案で、なかなか友達ができなかったのを覚えています。

 

名古屋でドロップアウト

大学進学で名古屋に。このとき、あるものにハマってしまいました。オートバイのレースです。名古屋から鈴鹿サーキットが近かったこともあり、気がつけば毎週通っていました。

とにかく、こうと決めたらトコトンやらないと気が済まない性格なので、「どうせレースするなら遊びじゃなくて、プロを目指そう。プロになって世界グランプリで活躍するんだ」とかなり熱くなっていました。

実際にレース仲間が何人も世界グランプリに挑戦するなかで、負けるものかと、とにかく夢中で練習しまくっていました。「限界までやらないと、トップにはなれない!」と思っていた私は、サーキットで走るたびに転倒していて、毎年骨折や入院を繰り返していたのです。

ときには、骨折した脚でレースに出場。松葉杖で表彰台にのぼったこともありました。

 

でも、プロを目指してから何年も経ってくると、ライダーとして芽が出なかった仲間が、ひとり、また一人と引退していきました。それでも、私はどうしても夢が諦められなくて、ひたすら世界グランプリ出場を目指して挑戦&転倒を続けました。

そしてついに、10年目でようやくレースの成績が認められ、国際A級ライセンスを獲得したのです。そして国内の最高峰、全日本選手権への参戦が叶ったのです。長かった…。

 

ようやく掴んだ夢が
30歳を目前にして、とにかくこれから成績を残して「世界へのチャンスを掴んでやるんだ!」と意気込んでいたのですが‥

全日本選手権第3戦、鈴鹿サーキットにて、またしても転倒。しかも、鈴鹿で一番スピードの速い130Rというコーナーで、時速200kmくらいでマシンから放り出され、体操の側転をするような形で数十メートルも転がったのです。

転がっている最中に、「ああ、手が折れた‥ 今度は足だ‥」と分かりました。
すぐに救急車に乗せられ、そのまま緊急手術。

結局、腰と足と腕が折れていました。しばらくはレースは無理だな‥と落ち込んでいたのですが、手術をしてくれた医者の言葉に、さらに落ち込みました。

膝が曲がらない…
担当医の話では、膝の怪我があまりに酷く、この状態では膝が曲がらないので、一生和式トイレにはしゃがめないかもしれないというのです。

ガーン‥

結局、この怪我で引退することを決めました。

このとき「後遺症が残っても、もうレースができないならどうでもいいや」と、投げやりな気持ちになっていました。

そんなドン底の中にいた私を、リハビリを担当してくれた医師・村嶋先生が、私を救ってくれたのです。診察が終わった時間にわざわざ病室まで来て、毎日リハビリをしてくれたのです。

先生は、「1,2年レースをやる奴は多いけど、国際A級まで努力し続ける人間は少ない。私は、きみをプロとして認めるから、こうやってリハビリをやらせてもらっている。だけど、もう充分にやったんじゃないか? 引退して、次の人生を歩くのに必要な足を、何とか元通りにするから」と、話してくれたのです。

私は、今でもこの言葉が忘れられません。うなだれていた私を、勇気づけてくれたのです。今考えると、この時の村嶋先生の言葉が、私を施術家としての道へ繋げてくれたのかもしれません。

結局、リハビリは退院してからも続き、1年半が経った頃には、なんと和式トイレにしゃがめるほどに回復しました!
本当に、村嶋先生のおかげです。

治療家の道へ
その後わたしは、東京で雑誌の編集の仕事をしたりしながら、レースで残った借金を返したあと、整体の専門学校に入学。村嶋先生のような医者にはなれませんが、人の身体を治すことを、一生の仕事にしようと思ったのです。

専門学校では、骨格矯正などの技術を学び、在学中に出会った施術の師匠、山本末義先生の元に弟子入りすることになりました。

とにかく人に慕われる先生で、いつも周りには人が絶えませんでした。施術の腕も一流で、海外からも先生を頼って患者さんがくるほどだったのです。

それほどの名人であったにも関わらず、山本先生は無償で技術を惜しみなく教えてくれました。しかも、当時お金がスッカラカンだった私を、治療院に住み込みで働かせてくれたのです。

こんな温情がなかったら、とっくに治療家をあきらめていたでしょう。

そんな先生に温かく、厳しく鍛えられたのち、鍼灸の国家資格を取得。開業するに至りました。

恩を返す
レースを引退して空っぽになっていた私は、医師の村島先生、師匠の山本先生のおかげで治療家として生きていく希望をもらいました。さらには、結婚して子どもまで!

治療をはじめて今年で22年、加須という地で治療院も軌道にのり、南青山にもアトピー専門の院を持つことができるようになりました。

50歳を過ぎ、ここからは恩を返す番です。

以前の自分と同じように「何かをあきらめかけている人」が、もういちど「やってみよう」と思うきっかけをつくりたい。

身体のことをあきらめかけている人には、「こうするば本来のあなたの身体に戻る」ことを伝えて、施術して、希望を持ってもらいたいのです。

 

現在の夢は、縁のあった東南アジアの「ラオス」で無料で整体を学べる学校をつくること。
厳しい現状のなかで将来をあきらめかけている若い人に、手に職を持って、生きる手段を手に入れてもらいたい。

そう思って、着々と計画を立てているところです。

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